ソース: ル・フィガロ紙
http://www.lefigaro.fr/politique/le-scan/citations/2015/01/14/25002-20150114ARTFIG00383-le-discours-de-manuel-valls-apres-l-attentat-contre-charlie-hebdo.php 2015年1月14日公表 18:57更新
Charlie Hebdo紙テロ襲撃事件後の、マニュエル・ヴァルス首相の演説 議長、閣僚各位、会派長各位、議員各位、
議長、貴方は先ほども他の議員から発言があったように、力強く端的におっしゃいました。3日間、そう、3日間で17人の命が野蛮な行為によって奪われたのです。
テロリストたちは、ジャーナリスト、警官、ユダヤ系フランス人、サラリーマンを殺害したのです。テロリストたちは有名、無名関係なく人々を殺しました。出身の異なる者たち、様々な考え、信仰をもった人たちでもありました。今回の出来事で、全国民がショックを受けたのです。そう、フランス全体が衝撃を受けたのです。
世界中のメディアから、支援と絆を掲げる賛同の声があがりました。世界中のあちこちで市民が都市に繰り出し、デモを開きました。各国の首脳や議員からも、支援の声をいただきました。彼らのやっていることは間違ってはいません。これこそがまさに、フランスの精神なのです。フランスの啓蒙、世界に投げかけるメッセージなのです。そのメッセージが潰されようとされていたのです。しかしフランス屈していません。しっかりと二本足で立ち、その存在を常に見せつけています。
エルサレムで行われた今朝の葬儀に続き、大統領の参加のもと心打たれる壮麗かつ愛国精神あふれる儀式がパリ警視庁で行われました。数時間、または数日の差で各被害者の方々の葬儀がしめやかに行われました。今、私は、皆さまと同様、被害者全員の方々に国を代表してあらためてお悔やみを申し上げたい。先ほど、この半円形国会議事堂で湧き上がったラ・マルセイエーズの国歌も、素晴らしいメッセージ、負傷した方々や、とてつもない悲しみにおられる遺族の方々に向けた素晴らしい贈る言葉となりました。私から今一度あらためて、犠牲者のご遺族の方々、お仲間たちに我々の追悼の意をのべたい。
今朝、大統領も同じく、力強く、ご自身の言葉でおっしゃいました。
「フランスは、これまでも彼らの見方であったし、今後も彼らの見方で居続けるだろう」
と。
貴方は先ほどおっしゃったように、辛い試練の中、我が国の国民は事件当日から集まりました。尊厳と友愛をもって行進し、自由を叫び、テロリズムと、不寛容、反ユダヤ主義、人種主義に対し断固と“ノー”という姿勢を見せました。そしてその根底には、いかなる諦めと無関心をも許さないという精神がありました。
議長、貴方も強調していたようにこれらの集会は、今回の事件に対する反応の中でも最も美しいものです。日曜日には、外国各国首脳と政府要人の方々が、フランスの元大統領、かつての首相面々、政治責任者が我が国の力強さをもち合わせて、フランス国民と一緒に我々の統一性を主張したのです。パリはその日、自由と寛容を世界で最も代表する街となりました。その威力といったら、本当にものすごいものでした。
フランス国民はここでまたあらたに、自国のこれまでの歴史にふさわしい行為を実証したのです。しかし、これは同時に、今、議員座席に座っている我々議員全員としては、議長がおっしゃったように、我々にとって非常に大きな責務が課されているということでもあるのです。起きている出来事を前に、動じずに対応するということは非常に大きなものが要求されます。我々フランス人には、使う言葉に、そしてそれらの言葉がどのような印象を与えるのかということに気を付けなければいけない義務があります。確かに、今回狙われた民主主義というものは、討論の場でもあり、対立の場もあります。それは、民主主義が生きていくためには必要不可欠なものであり、繰り返し起こることです。当然です。
今回の事件の後、我々の民主的討論に足かせをはめることは私の意図しているところではありませんし、いずれにしても貴方がたも、そのようなことは許さないでしょう。しかし、我々は集団となって、全体のためとなることには注意して目を向けていられるようにならねばいけません。そして、すでに経済面で状況は困難を極めていますが、我々はそれに屈してはいけません。長年、我が国は壊れた部分を抱えており、今日では忘れられていますが、お互いが無関係とはいえ数々の重大な事件が起きたからです。ジュエ・レ・トゥール、ディジョン、そしてナントで起きた年末の事件は我々の脳裏に焼き付いています。我々は、フランス人の期待に沿い、彼らの要求にこたえられるようにしなければいけないのです。
議員の皆さん、私は、我々全員の名において、彼ら(被害者)の偉大なプロフェッショナリズム、献身と、我が国の警官、機動隊、治安部隊の勇敢さに敬意を示したい。敬意を示すという言葉だけでは足らないとはいえ、彼らエリート集団全員を、称えたいのです。
3日間で安全部隊は、たびたび生命の危険に遭いながらも目を見張る捜査活動をしました。検察が設けた反テロリスト対策本部の管轄下で犯人を追いつめ、ルートを探し周辺の人間たちに聞き込みをし、3人のテロリストたちにできるだけ早く、これ以上害を起こさせないように必死に働いているのです。
カズヌーヴ内務大臣、貴方にもお礼を申し上げたい。(誤解のおきないような)正しい言葉を選んだだけでなく、貴方はいつも、このことに注意を払っておられる。
大統領と、貴方、法務大臣もともに、祖国にとってこれほどまで辛い事態の一瞬一瞬に直面するたびに真摯に対応してまいりました。そして、その都度求められた重大な決断をしてきました。
議員の皆さん、いかなるときも油断してはなりません。そして私はここで、国の代表者の皆さま、そして皆さんをとおして、この国の同胞の市民に真剣に言いたい。世界中で危険が絶えずつきまとっているということだけではなく、先週の事件に関連した深刻かつ非常に高いリスクがあるということです。後ろで手をひく仲間がいたのではないかというリスク、テロ組織に関連しているのではないか、国際テロの先導者がいるのではないかというリスク、そしてサイバーテロのリスクです。残念ながら、フランスをねらった脅迫が、その最たる証拠です。
この事実に関しては、私は皆さんに対して責任がありますし、我々はフランス人に対し責任があります。フランス国内あちこちでこれに直面するべく軍隊、機動隊、警察が動員されています。配備された援軍兵士は総計1万人ほどにのぼります。これに関しては、防衛大臣、感謝いたします。前例のない今回の事態をうけ施した今回の対応は、12万2千人もの人員が大量に投入され、常時、問題の起こりそうな区域や公共の場の安全確保に努めることにいたっております。援軍はユダヤ系私立学校、シナゴーグ、そしてモスケなどを優先的に警備することに従事していきます。
各会派の議長の皆さん、まだ終わらぬ悲しみと追悼のあとには、明晰な判断と行動が必要となります。
我々は戦争状態なのでしょうか?このようなことを問うても、現実的にはあまり意味がありません。ジハード・テロリストたちは3日連続、最も残酷な形で対抗し、それが彼らの答えなのですから。
フランス共和国は、冷静にかつ断固として、テロリストたちに最も威力のある回答を突き付けていきます。それも、権利国家にいる我々が、自尊心をもってゆるぎなき毅然とした態度で、臨みます。
ヤコブ議長、政府は貴方がたから提案される回答全てに耳を傾ける姿勢にあります。ありとあらゆる技術的手段、規律、法的手段、予算に関すること、全ての考えうる対策を聴きます。異例事態には異例の措置で対応しなければなりません。ただ、同じ意気込みで私は言いたい。権利原則と、我々が大切にしている価値体制の原則に背くような異例措置は絶対に許してはならないのです。
あるがままの我々を、つまりは偉大な民主主義、をまさに破壊しようとしているテロリズムへの最善の対策は、権利であり、民主主義であり、自由、フランス国民なのです。
この、テロリストからの脅迫に対し、フランス共和国は、国内対策を打ち出します。そして、テロリスト集団が我々を襲撃し、我々の利益や我が国の市民を脅迫しにくるような場への対策を提示します。
それゆえ、大統領は、あの、1月11日にマリへの派兵を決断したのです。2013年の1月11日、この日に、最初の兵士、ダミアン・ボワトゥー氏が亡くなった日でもあります。そして防衛大臣、同日の夜に、ソマリアで3人の仏軍兵士が命を落としました。
大統領は、友好国であるマリに援助の手を差し伸べるためにあの派兵を決断されました。イスラム国家であるマリは、テロリスト集団によって国家崩壊の危機に遭っていたのです。
大統領は、現地の同盟軍とともに協力し我々の援軍の存在を強め、バルカン作戦を打ち出しました。ヨーロッパを代表し、その戦略的利益をかけた、フランスとしては多大な尽力を注いだ作戦でありました。そして代償多き尽力でもありました。ヨーロッパ全体の絆は群衆の中にも現れていなければならないもので、また、予算の中にも反映されていなければいけません。あの状況下では、余儀なき尽力でした。先週の日曜日のデモ集会は、なんと素晴らしい光景だったでしょうか。国家首脳、政府要人、マリのイブラヒム・ブバカール・ケイタ大統領らが、皆、一丸となって腕を組み行進していたのですから。ここでも、我々が宗教戦争をやっているわけではないということを実証する恰好の対応でした。そう、我々は宗教戦争ではなく、思想や信仰への寛容のための葛藤、政教分離、民主主義、自由、そして独立諸国、つまりは人民が自ら選ぶべきもののための戦いを繰り広げている、ということを見せつける最良の反応だったのです。
そう、我々はともに戦っています。そして我々は、油断することなく戦い続けます。
いみじくも、時期的に適合した形で、イラクへの援軍拡大案が出ているのですが、ここにも、前述と同じ意欲が現れています。こちらは、のちほどの決議案の投票で明らかになることでしょう。ここにも、我々の明白かつ断固とした反撃の意欲が現れています。のちほど私の意見を述べますが、外務大臣から上院会議にて説明されることでしょう。まさにここで、我々のテロに対する反撃の意が現れているのです。そして、何千キロも離れた外地での任務のために派遣された兵士たちのために、我々は深い尊敬と感謝の気持ちをもたなければいけないのです。
脅威は国内にもあります。この議会場で私はたびたび、そのことに触れてきました。
今回起きてしまった惨事を目前に、どうしてそのようなことが起こってしまったのかということを自問することは、常に正当かつ必要なことであります。我々は犠牲者たちのために、遺族のため、議員に、そしてフランス人に向けて反論の意を示さなければいけません。決意と、誠意をもって、焦ることなくそれを実行せねばなりません。私は、ルルー社会党・共和・市民グル―プ会派長の言葉を借りてここで申し上げたい。“与える教訓などなにもなく、得る教訓しかない”と。
国会ではすでに数週間前に2つのテロリスト対策法案が圧倒的多数で可決されました。同法律の適用の政令の公布に向けて、現在準備中です。国会にはすでに、ジハードたちの接触ルートに関していくつかの情報を得ています。
ここ、まさに国民議会で、12月3日に貴方がたはこれらジハードのルートとその人間たちの監視調査委員会を設置しました。エリック・チオッティ県会長は、報告員のパトリック・メヌッチ氏と緻密に連絡を取り合いながらこの件に取り組んでいます。
下院では10月より、フランスとヨーロッパにおける対ジハード組織の戦闘手段調査に関する委員会があります。何人もの閣僚がすでに(訳注:調査委員会のための)面接を受けています。引き続きこれは実施されなければいけません。内務大臣がここには非常に注意深く取り組んでいることも、私は知っております。彼はすでに昨日、国民議会内のいくつかの会派と国会議員たちに会い、対ジハード問題について審議しています。
国民議会議長、会派の会長の皆さん、政府は国会の意に沿って行動する姿勢にあります。これらの問題全部に関して、もしくは、その他我々がすでに検討した案件、例えば街中で蔓延る武器の密売という非常に厄介かつ複雑な問題などに関しても、慎重に対応していく次第です。武器の密売にいたっては、より、決然とした姿勢で対応しなければいけない問題と認識しております。
そしてここでも、私は情報機関での活動に敬意を示したい。DGSI, DGSE、そして国土情報機関です。また、テロ対策に対応した司法にも敬意を示します。これらの任務に携わる方々の仕事は基本的に目立たず、かつ、極めて微細な注意が必要となるものです。現象が七変化するようなつかみどころがなく、時には雲隠れしてしまうような現象になる、前例にない事件に挑まなければいけないのです。しかし彼らは協力して対応することに長けていますので、きちんと成果を出してきます。
2年の間に5回にわたり、実行に移る可能性のあったテロリスト集団を無力化することに成功したのですから。
フランスでは、欧州諸国同様、国際ジハード組織に属していると認識される人物たちが2014年に激増しました。テロリスト対策法案が検討された2012年の12月からすでに、私はフランス国内には10人ほどの潜在的MERAH(訳注:トゥールーズでの殺害事件の実行犯の妹)たちがいると言っておりました。時間が経った今、この判断が悲劇的にもあのような形で、そして冷酷にも、実証されてしまったのです。
人的・物的手段を明白に強化しないかぎり、国内の情報機関は飽和状態になってしまいかねません。イラク―シリア関連の情報筋に携わる人員だけでも1250人を超す勢いなのです。しかも、アフリカのサエル、イエメンや、アフガニスタン―パキスタンなどにいる他のテロリスト集団による活動地域、脅威を決してないがしろにすることなく、我々は情報収集をしなければいけないのです。
そこで我々は、今回、新たな局面を迎えるに当たり、必要手段を配備します。安全確保の分野では、人員力が要となります。2012年より実践していますが、2013年には、モントバンとトゥールーズでの殺戮事件に関する情報と、URVOAS-VERCHEREから得た提案をもとに、我々の情報機関での大々的な改善が完成しました。それと同時に国内安全保障統括本部の編成もなされました。DGSIに432の雇用の創設が予定されています。新設されたこれらの雇用は、それぞれに求められる能力の強化を促し、情報処理技術者、アナリスト、研究者、通訳など、採用を多様化することにもつながります。130人がすでに配備されています。また、我々は国内外の機関の間の協力体制を改善し、また、まだ十分とはいえ、海外機関との連絡も強化しました。これは、2年前に欧州閣僚の方々と、特にベルギーのジョエル・ミルケ大臣と協力し、私がイニシアティブをとったことで実現したことです。ベルギ―も、同じような問題に直面しているからです。そのときのイニシアティブは、内務省で開かれた会議の際、多くの閣僚が集まり、ベルナール・カズヌーヴ大臣によって延長されました。しかし、まだここにとどまるわけにはいけません。私は、カズヌーヴ内務大臣に、これから一週間以内に強化策を提案していただくよう要請しました。これらの対策案は、特にインターネットやソーシャルネットワークに関する対策を盛り込んでなければいけません。人を巻き込むため、連絡をとるため、そして、実行にいたるまでの技術獲得にこれまで以上に使われてきている手段だからです。
我々は、西洋においては情報機関に対応した法的な法規を設けていない民主主義国家の中で、最も後発国のうちのひとつです。ここにも、問題があるのです。2013年には、ジャン・ジャック・ウルヴォワス氏の主導のもと、情報機関に関する法的な枠組み作りに向けて、重大な研究がなされました。次回の法案はほぼ完成したもので、各情報機関に、それぞれの任務を成す為に必要な全ての法的な枠組みの定義が提案されるでしょう。公共の自由と個人の自由の保護という、共和国原則を尊重した同法案の内容は、間違いなく貴方がたの尽力によって出来上がったものであり、可能な限り早く採択されるものになると、私は確信しております。
また、今年1年を通し、犯行の容疑がかかった者の、空の移動に対する監視も実施します。PNR体制と呼ばれるものです。フランスによる監視基本政策は、今年の9月より施行されます。あとは、欧州規模で同じような体制を設置する必要があります。欧州議会の中枢部で、私は厳粛に呼びかけたい。今ここで掲げた問題点に対し全ての策を投じること、そして、2年間から政府ともども我々が欧州議会に要請しているように、この、必要不可欠な共同体制成立に向けた案に投票し、採択することです。もう、失う時間はないのです!
皆さん、今、フランス全土に過激化運動が起こっています。あちこちで対応すべき時がきているのです。昨年の4月に採択された活動計画で、行政措置と犯罪防止措置を刷新することとなりました。犯罪実行犯の人相や身体的特徴に関する基本政策は、被害者の遺族からも非常に強く要望されている分野であります。多くの犯罪者たちが国外に出ていくことを阻止することに貢献したからです。
地方県知事の方々は、各種国家共同体と連携し、前述の策に対応したかたちで過激派たちの追跡と、彼らの更生と社会復帰に関する措置を徐々に設置していかなければいけません。ここでも、カズヌーヴ内務大臣と、その他これらの課題に関係する内閣閣僚の皆さんに向けて、活動範囲を広げられるような必要手段があればそれを提示していただくよう、お願いいたしました。
ご指摘があったとおり、我々は、監獄内で過激派の動きが広まっていることも知っております。今に始まったことではありません!事実、監獄行政は内務省と密接に連携し、独自の情報収集の強化にあたっています。ここでも、我々はさらなる尽力を注がねばなりません。我が国の監獄には、司祭、牧師などと同様、他の風習に合わせて刑務所付の、イマームも出入りしています。当然のことです!しかし、こういった出入りには、はっきりと線引きをすることも必要となります。また、この分野に関する真のプロ、を養成することも必要となります。そして、年末までにはフレーヌ監獄でこの秋から実施される実験をもとに、過激派とみられる拘留者たちに対する監視体制が、同じ監獄施設内の特定地区に敷かれます。
少年保護施設に対しても高いレベルの養成が施されることとなります。若者がいかにして過激派への道に走るか、ということを理解するのは、複雑なことです。共通の権利をもつ若者たちが非行に走り、そこからいとも簡単に過激派やテロリズムの道に移行する事実を我々は知っています。そしてこの現象を何度も、ここ、国民議会の場で説明してきました。しかし、論議するだけではなく、対応策をとらねばいけないのです。急進化に脅かされている多くの未成年者たちに寄り添い、助け、そして見守らなければいけません。また、監獄行政で実施されたことに伴い、PJJの管轄下でも情報部隊を創設する必要に準じ、行動に移さねばなりません。これらの活動のためにも、そして検察のテロリスト対策室の要望に対応するためにも、私は、法務大臣にも、これから数日以内に提案を要求しました。
皆さん、テロリズムとの戦いではいつ何時でも警戒が要求されます。我々は常に罪に問われたテロリストたちのことを把握していなければいけませんし、彼らの生息地を知り、いつそこに彼らがいて、いつ不在なのかを知る必要があります。
内務大臣、法務大臣には、法的条件を検討することと、新たな資料を作成することを要請しました。テロ事件の罪に問われた人たちや、テロリスト戦闘集団に加担した人たちに、自宅を申告させ、監視下に置かれることに従わせるための書類となります。このような措置はすでに、再犯性の高い他の非行行為に対しても存在しています。テロリズムに加担するような行為にも同様の措置を適用し、常に司法の監視下に置くべきなのです。
皆さん、これらの提案以外にもまだまだ今後、様々な提案が出てくることに私には疑いはありませんので皆さんにもその点はご理解いただきたいのですが、これら全ての提案が適用・施行される前に評議の対象となったり、もしくは、立法案文書にとどまらないかたちで国会にて発表されることとなります。
議員の皆さん、我々がこのたび経験した悲惨な試練は、我々に打撃を与え、この国に衝撃を与え、我々の心に大きな傷を残しました。しかし、我々はそのたびに、素早く、社会情勢、そして社会の求めている緊急性に関して明確な判断を下せるようにならなければなりません。この点に関してはもちろん、今後、討論の機会があることでしょう。
そのことに関して少し、私から、予定より時間をかけて述べさせていただくことをお許しいただきたい。
はっきりと取り上げるべき議題としてはまず、反ユダヤ主義に対する戦いがあります。
歴史がそれを実証してくれました。反ユダヤ主義が目覚めるということは、民主主義の危機、フランス共和国の危機の前兆が現れているのです。だからこそ、これに対しては強く、反応しなければならないのです。2006年のIlan HALIMI以降、トゥールーズでの犯罪事件など、フランスでは反ユダヤ主義的行為が増えてきており、これは耐え難いことです。この半円形議会場で私も皆さんに想起させましたが、数週間前にクレテイユの街であったような下劣な発言、侮辱、態度、攻撃などがあった際には、我が国のユダヤ人の同胞からは怒りの動きは起きませんでした。先日の土曜日、パリ環状線のポルト・ドゥ・ヴァンセンヌの“HYPER CACHER”のユダヤ系スーパー、日曜日の、ヴィクトワールのシナゴーグに集まった群衆の光景を目前に、我々は非常に大きな懸念と恐怖が蔓延していることを実感します。 200年前にはユダヤ人解放の地であるフランスが、しかし70年前には虐殺の地のひとつともなったこのフランスで、どうやったら、我が国の街頭で“ユダヤ人死ね”というような言葉を受け入れることができましょう?今、私が想起したような行為を、どうやったら受け入れることができましょう?ユダヤ人だからという理由で殺されるフランス人がいるなど、どうやって受け入れることができましょう?同胞が、そして保護されるために父親によってフランスに送られたチュニジア人の市民が、ユダヤ人だという理由で殺されることをどうして受け入れることができましょうか?シャッバのためにパンを買っていっただけだというのに?そのようなことは受け入れられません。そして今回私は、十分に反応しなかった国民に、ユダヤ系のフランス人の同胞に、言いたい。そのようなことは受け入れてはいけない、ここでも我々は、真の判断を下して反抗すべきであると声高に言いたい。反ユダヤ主義は、何世紀も昔からのことだと言われているが、実は新たな反ユダヤ主義が沸き起こっているのです。それはこの国の街角のそこここで生まれています。それは、インターネットから得る情報や、ネット上で語られる内容、ユダヤ人に対する嫌悪を暗示するような表現、ユダヤ人たちが経験した惨事、そしてイスラエル国家に対する憎しみが背景にあるのです。こういった背景のもと、ユダヤ人に対する嫌悪、全てのユダヤ人に対する嫌悪が称賛され、今日の新たな反ユダヤ主義が生まれたのです。このような許しがたい反ユダヤ主義に対し、声にして反対し、戦うべきなのです!
今朝、セゴレーヌ・ロワイヤルがエルサレムで発言したように、そしてクロード・ランズマンがル・モンド紙の素晴らしい論壇で書いていたように、私も、このことを言う機会ができました。そうです、世間に面と向かって言いましょう。フランスのユダヤ人なしには、フランスはフランスではなくなってしまうでしょう。そして、このことは、我々全員が、声高に叫ぶべきメッセージなのです。我々はまだそのことを言っていません!まだ、我々の怒りは十分ではありません!それに、ユダヤ人大虐殺を教えられないとする中学校や高校があるようですが、どうして、そのようなことが許されるのでしょうか?7、8、歳の子どもに、「貴方の敵は誰?」と聞かれた先生が、「ユダヤ人だよ」と答える、などということを、いったいどうやって受け入れることができるのでしょうか?フランスのユダヤ人を攻撃するということは、フランスを攻撃するということ、万人の意識を攻撃することに等しいということを、絶対に忘れてはいけないのです!
そして、今回また偶然にも、この憎しみをもった者が、あのような侮辱的な騒動を起こしたのです。何度も同じことを繰り返す再犯者です。あの土曜日の夜、ポルト・ド・ヴァンセンヌで多くの国民が集まり黙祷をしていた中(訳注:1月9日にはユダヤ人4人が、同じ場所のスーパーでテロリストにより殺された事件のこと)、彼は、多くの人がぎっしりと詰まった会場であのような憎しみのこもった見世物をしたのです。このような事実を見過ごしてはなりません。そして、あのような憎しみの説教者に対して、司法は容赦なくあるべきなのです!ここ、国民議会の檀上で私はこのことを力説したい!
そして議員の皆さん、もっと話を最後まで掘り下げてみようではありませんか。ある若者もしくはある市民が疑問を抱いていたとして、その人が私に、もしくは教育大臣に、「わからないのですが、あのユーモア作家のこと、貴方方は彼には黙っていてほしくてCharlie Hebdoの記者たちのことは持ち上げるのですか。」と聞かれたとしましょう。でもここは、根本的に違うのです。まさに、これこそ、我々が勝ち抜かなければいけない戦いなのです。我が国の若者たちに向けた教育現場での戦いです。ひとつは、なんでもかんでもやっていいという、無礼なことを許す自由があります。しかし冒涜的な発言は我々の法律にはなく、絶対に合法になることもありません。自由と、反ユダヤ主義の間には根本的な違いがあるのです。自由と人種差別主義、自由とテロリズム称賛、自由とナチスによるユダヤ人ガス室大量虐殺否定論の間には根本的な違いがあるのです。反ユダヤ主義、人種差別主義、テロリズム称賛、虐殺否定論は犯罪であり、司法によってもっと厳しく罰せられるべきであろう犯罪なのです。
もうひとつの緊急事項は、我が国のイスラム教徒の同胞たちを守ることです。彼らも、不安なのです。許しがたく耐えがたい反イスラム教主義的行為が、またここ数日、みられます。ここでも、モスケや教会、信仰の場を攻撃したり、墓地を冒涜する行為は、我々が掲げている価値に対する攻撃に値します。ラトロン県知事は、内務大臣の要請を受けて、その他の全知事と協力し合い、信仰の場とされる場所全ての安全を確保するという任務を負っています。イスラム教徒は、フランスでは2番目に信仰者の多い宗教です。フランスでは確立した宗教です。我々が挑むものは、フランス国内だけではなく、世界中に向けてやるべき挑戦は、このことを証明することです。国家、政教分離、男女平等というものは、国家の原則と価値を受け入れている国内全ての宗教と両立できるものです。 しかし、我が国、フランス共和国は、イスラム教の名のもとに街中で一方的にひどいことをし、影では密売を行い、狂信的な宗教心を糧に自分たちの秩序をいきわたらせようとするような者たちの前に、断固として妥協しない姿勢をとらなければなりません。彼らの秩序とは、男性が女性を支配し、そう、ポンピリ議長、あなたがおっしゃっていたように、信仰が理性を上回るというような秩序です。
ここ、国民議会の檀上で私は数か月前に、社会適応化政策の不十分性、そして過去30年の失敗を述べました。しかし都市型のゲットーが形成されてしまっては、どうなるでしょうか。そのゲットーでは、自分たちでしか固まらないような社会ができあがり、卑屈になるしかないような教えを受け、社会からかい離することを説かれ、国家がもはや存在しないような場です。そのようなゲットーが出来上がってしまっては、どうやって、友愛の手を差し伸べているフランス共和国の方に歩み寄ることができましょうか。
万人にも受け入れられる寛容で好意的なイスラム教徒から保守主義、反啓蒙主義、イスラム主義に傾倒していくこと、さらに悪い場合にはジハードに対するあこがれを抱いたり、実際にジハード的行為に移してしまうことが往々にして起こりやすくなっています。いや、これは幻想でも絵空事でもありません。現実に向き合いましょう。このように、片方の世界からもう片方の世界に移り変わることの間には、あまりにもかすんでしまったゆるく曖昧な境界線があるのです。その薄い境界線を、どのようにしてはっきりと線引きして線を濃くすることができるのでしょうか。
この論争は、イスラムと社会の間の論争ではありません。イスラム教自身が、抱えている課題なのです。つまりはフランスのイスラム自身も、宗教責任者や、知識人や、ここ数日間、我々に恐怖を訴えにきているイスラム教徒たちの意見を強く取り入れながら考えなければいけない課題なのです。私は以前にも、イスラム教徒でありその風習を重んじているフランス人の友人が数人いることをお伝えしたことがあります。皆さんにも同じように、おられることでしょう。その中でも最も親しい友人が先日、私に、イスラム教徒であることが恥ずかしい、と言いました。目には大粒の涙をため、悲しさから出た言葉でした。 でも私は、我が国で怖がるユダヤ人がいるようなことはもう、いやなのです。そして自分たちのことを恥じるイスラム教徒がいることも、いやなのです。なぜならフランス共和国という国は友愛の国、みんなを受け入れるためにある寛大な国だからです。
そして最後に本当に最後に、この国の社会が抱える緊急事項への対応は、強力なものでなければいけません。それは、国家と、それが掲げる価値です。このことに触れて、私の演説を終えたいと思います。
我々が掲げる価値、それはまず一番に、まとまりと忍耐の証である政教分離です。
政教分離はもちろん、学校の砦を形成するもののひとつでもあり、学校で習うものです。学校は、信仰や出身がなんであれ、フランス共和国の全ての子どもたちが教育の機会を与えられ、学び、知識を得る場です。
私は今朝、Najat VALLAUD-BELKACEM教育大臣とフランスの大学区長たちの前で話しました。私はそこで全員に動員を求めました。国家教育の全てのレベルにいきわたるべく発信したメッセージです。 ここでかかっている要素はたったひとつ、政教分離です。なぜ政教分離か、それは国家の真髄、つまりは学校の真髄であるからです。
共和国国家は、学校なしでは成り立ちません。そして学校は共和国国家なしではありえません。しかしそこに、我々はあまりにも多くのことを見逃してしまっていたのです。先ほど話したときにもこの点については触れました。
そう、政教分離。政教分離の原則があってこそ、信じる、信じない、の選択ができるのです。教育には基本的価値というものがありますが、これまで以上に、そしてこれも回答になりますが、先日、体験したような攻撃に対し、フランスの戦力にならなければいけないのです。ですからこの政教分離の原則を、誇りをもって掲げようではありませんか。なぜなら政教分離が原因となって我々は攻撃されたからです。顔全体を隠すショールの着用を禁止する学校においては、宗教的な特徴のあるものを禁止する法案を我々はここで可決しました。その法案が原因となって攻撃されたからです。これらの法律は必要だということを主張しようではありませんか。なぜならこれこそ、我々がより強くなれるための行動だからです。
試練に置かれたこのフランスに今、世界中から賛同の声があがっています。なぜなら世界も、フランスの偉大さを知っているからです。そしてフランスが普遍的にもっているものが具現化されたものを知っているからです。
フランス、それは啓蒙思想の国です。フランス、それは民主主義の場、フランス、それは頭の上からつま先まで全部、共和国なのです。フランス、それはまた同時に、とっつきにくい自由の国でもあります。フランス、それは平等獲得の国でもあります。フランス、それは友愛に飢えた国です。そしてフランス、それは、尊厳と、傲慢と、そしてエレガンスがあまりにも独特に混ざり合った国でもあるのです。あの、2015年1月11日の、あの日の精神に忠実になること、それはつまり、そのときの価値が自分たちにしみついている、ということなのです。
あの1月11日の精神に忠実になるということは、フランス人たちが抱いている疑問に対する答えにもなります。1月11日の精神に忠実になるということ、それは世界が変わったということ、これまで、と、これから、の世界に分かれていく、ということです。そして、我々の掲げる価値の名のもとに、断固とした一貫性、まとまり、など、必要な決意を全部結集し、対抗するということにもつながります。この、断固とした一貫性、まとまりという言葉は、また今朝も、大統領が使われた言葉です。
我々は燃え滾る火のようにこの精神状態を維持し、その精神が発するまとまりのメッセージの威力を強調していきます。そのように私は願います。それを実行しつつ、そして先週、命を落とした17名の、我々の英雄のことを常に思い出しつつ。
秩序の力であるあの英雄たちのことを思い出しつつ。
今朝、パリ警視庁の前庭広場には、皆さん含め多くの方々が集まりましたが、そこで我々は、メッセージの力をあらためて、感動とともに実感しました。これも、まさにフランスなのです。3色、ありました。3人の警察官のための3色。2人は男性国家警察官、1人の女性自治体警察官でした。彼女、彼ら自身、色々な経歴と国の出身者たちでした。3つの異なる色、そして3人の異なる経歴の持ち主、しかし、3人とも、フランス人でした。3人とも、国家に仕える公務員でした。棺の前で、遺族の傍らにはまた、国旗の3色がありました。たったの3色。これが、もっとも美しいメッセージなのです。
私は去年の4月、ここで、皆さんももっておられるように、自分の、フランス人であるという誇りについて述べました。今回、一連の出来事をうけ、そしてあの週末のデモ行進が終わり、なにかしら我々の中で強くなったものがあります。
我々全員が同じものを感じていると信じております。フランス人であるというこれ以上の誇りはありません。そのことを忘れないようにしましょう!
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inquiet3 Le 15/01/2015 à 11:46
フランスのイスラム教徒たちを守るためには、衝撃を与えるリスクはあるかもしれないけど、あくまでも報道の自由に抵触することなく、Charlie Hebdo紙にはテロリストたちの預言者の名前を公表するように要求するべきだったのかもね。それをやみくもにマホメットと名付けてそれにまつわる風刺画を公表するということは、意図があるかどうかの如何はともかく、イスラム教徒たちにとっては侮辱にあたるし、退廃的な雰囲気がどんどん蔓延していくもの。
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http://francematome.blog.fc2.com/blog-entry-134.html フランス、マニュエル・ヴァルス首相の演説